「インハウス化」の背景
現在は、デジタル広告市場の大半を Google と Facebook の2社が担う、複占(Duopoly)の時代です。どちらもセルフサービス型での出稿が基本になっており、膨大なユーザーデータと機械学習の恩恵を十分に受けられるプラットフォームになっています。
参考:すべての広告主の手に機械学習を - Google 広告主コミュニティ
市場を牛耳るこの2つの巨人は、単に市場規模や集客への影響力が大きいだけでなく、数年来議論になってきた広告のビューアビリティやブランドセーフティの問題でも他のプラットフォームより対策が進んでおり、広告配信における手法の多様性や選択肢の多さは際立っています。これまで多少のスキャンダルはありつつも、デジタルを主戦場とする広告主にとっては常に最優先の選択肢であり、両者に先んじて他のネットワークを優先する理由は、(Amazon等の強力なライジングスターを除き)明らかになくなってきているのが現状です。
このような Duopoly の傾向が明らかになってきたここ数年、連動するかのように運用型広告の実施を社内で行う「インハウス化」の機運が高まっています。
プラットフォームの選択肢や優先順位が固まってくると、次のニーズは自然と「深耕」と「合理化」に向いてきます。「深耕」は専門性の強化へと発展し、「合理化」はプロセスの圧縮へと向かいます。
一般に、運用型広告の業務には企画から実装、計測・運用、レポート、最適化といった大小多くのタスクが伴います。規模が大きければ大きいほど広告代理店やベンダー、社内の関係者などのステークホルダーは増え、連絡や合意形成のプロセスだけで必要な工数が累乗で増えてしまいます。
そうして業務の肥大化によって膨らんだプロセスは、いつしか圧縮へと向かいます。専門性の強化によって成果やノウハウの深耕、あるいは端的に成果が出てさえいれば、問題の表面化は避けられるかもしれませんが、膨らみすぎたプロセスは多くの場合、専門性とは縁遠い構造になっているでしょう。ひとたび合理化(プロセスの圧縮)に舵を切った場合、その矛先の一部(あるいは多く)は、広告代理店に向かうことになります。
広告代理の合理化は、単なるプロセスの圧縮だけではなく、以下のようなもっともらしい理由を巻き込んで、大義名分へと化していきやすいものです。
・中間マージンの削減
・データの所有権・オーナーシップの獲得
・取引や配信面の透明性
・ノウハウの蓄積
こうして項目を並べていくと、広告の「インハウス化」はビジネス目標の達成のために、なくてはならない必要条件のように見えてきます。
プログラマティック・インハウス・ブーム
「インハウス化」という機運の高まりは、洋の東西を問わず、市場規模が最も大きいアメリカでも同じようです。
2018年5月、米IAB(Interactive Advertising Bureau)は、その調査機関である The IAB Data Center of Excellence の名義でデジタル広告のインハウス化について調査した報告書「Programmatic In-Housing(プログラマティック・インハウス)」を公開しています。
それによれば、プログラマティックにデジタル広告を購入(※1)している大手広告主119社のうち、 65% が何らかのかたちで広告のインハウス化をしていると回答しています。
※1:日本語で正確な訳がないので、意味的には大まかに「運用型広告を実施している」と捉えてOKです
参考:Nearly Two-Thirds of Brands Purchasing Ads Through Programmatic Means Have Fully or Partially Moved the Function In-house, According to IAB Research
具体的には、回答者の18% は広告の買い付けも含めて完全にインハウス化しており、残りの 47% は広告のインハウス化を部分的に開始しているか、将来的に始めると回答しています。
回答者の分母に”運用型広告を実施していない広告主”は含まれないため、サンプル全体でのインハウス率はもう少し低くなりますが、それを考慮に入れても、運用型広告を実施する広告主の実に3分の2近くがインハウス化に向かっているという結果が出ています。
インハウス化する5つの理由
レポートでは、広告主がインハウス化する理由について、回答(下図)を以下の5つの項目に分類しています。
〜運用型広告をインハウス化する目的〜
・成果/ROIの向上(Improved performance/ROI)
・データおよびターゲティングの制御と管理向上(Better control and management of data and targeting)
・リアルタイム最適化機能の強化(Enhanced real-time optimization capability)
・コスト効率と透明性(Cost efficiency and transparency)
・説明責任とブランド目標への集中(Full accountability and focus on brand goals)
上記の中で、「成果/ROIの向上」が上位に来ているのは、広告のプロである代理店側からすると悲しいところですが、レポートには、これまで外注や多層的なチームによって肥大化していたプロセスやコミュニケーションの壁が圧縮されたことで、リアルタイムでの最適化が可能になり、成果が向上している事例が掲載されています。
"the impact of digital spend, as measured by marketing mix models, began to improve within a year of in-housing digital media spend, driven by enhanced targeting and ongoing placement optimization."
-ターゲティングの精度向上と継続的なプレースメントの最適化によって、(マーケティングミックスモデルで測定した)デジタル広告費のインパクトが、インハウスに切り替えて1年以内に改善しはじめました。
インハウス化によって、これまで分断されていた他のチャネルと組み合わせたアトリビューション分析等も実施しやすくなったようです。「プロセスの圧縮」によって生まれた典型的な成果であることが伺えます。
このような報告を追認するかのように、レポートの中である金融系の広告主は「キャンペーンをリアルタイムに調整してくことが、インハウス化する最も大きな理由です。(The tweaking in real time in the course of the execution of the campaign was really the main reason we brought it "programmatic" in-house.)」とコメントしています。
また、キャンペーンの量と最適化の複雑さは、マーケティング担当者が最適化機能を外部委託するのを躊躇させる要因になる、という指摘もあります。上記の金融系企業では、複数の多変量テストや15以上のチャネル分析と最適化を毎月実施しているとのこと。これらのタスクを第三者に引き渡すことを考えると、「インハウスしかないね。(it has got to be in-house.)」となるのでしょう。
その他、インハウスか代理店かの議論で必ず出てくる「コスト効率」についても触れられており、IABの調査でも理由の上位に位置しています。
IABのインタビューに回答した専門筋は「アウトソーシング先に支払っていた手数料を社内の運用型広告人材への報酬として再配分することによって利益が上がる」と話しています。外部の実務者ではなく社内の才能に投資することで、上述のような「データおよびターゲティングの制御と管理向上」や「リアルタイム最適化機能の強化」を実施することができ、結果として ROI に返ってくる、ということなのでしょう。
インハウスに死角はないのか 〜広告主に迫る5つの課題
ここまで書いたところで、広告のインハウス化はバラ色の選択肢のように見えます。広告支出の多くが運用型なのであれば、インハウスにしない理由がない、と。
しかしながら、物事には表があれば必ず裏があります。これだけインハウスが叫ばれていながら、なぜ多くの企業はいまだに広告代理店やパートナー企業と取引を続けているのでしょうか。
IABのレポートでは、インタビューをもとにインハウス化を目指す現場で前景化する典型的な5つの課題も併せて提示しています。
〜広告のインハウス化における課題〜
・組織としての姿勢(Organizational buy-in)
・時間へのコミットメント(Time commitment)
・契約の調整(Contract Coordination)
・人材採用(Talent Recruitment)
・運用と研修(Operational Impact and Training)
一番上の「組織としての姿勢」という項目は、もう少し厳しい表現を使えば「組織としてインハウスをやり切る体制と社内理解、つまり覚悟があるか」というニュアンスで書かれています。レポート内で以下のような表現が使われていることからも、この前提がインハウスの成功にとって非常に重要な要素であることが推察できます。
“It takes a village” is a suitable mantra for successfully in-housing programmatic buying.
-「みんなでやろう」は運用型広告のインハウス化を成功させるために必要なマントラ(教義)です。
インハウス化は、アウトソーシングしていたときには外部化されて見えていなかった様々な業務やコストを社内に受け入れることでもあります。インハウスを成功させるためには、経営陣の理解やサポート、リソースや時間の確保が最も大事だということですね。大袈裟な表現を使えば「全社一丸」とならないと、インハウスでの継続的な成功は得られないということでもあるでしょう。
そして同時に、この全社一丸がいかに難しいかもレポートには記載されています。人は慣れたルーチンワーク(≒コンフォートゾーン)を変えることに強い抵抗を感じる生き物です。「少しでもパフォーマンスが悪いとすぐに”代理店に戻そうよ”と言い出す幹部がいました」とある金融機関の経営幹部は語っています。
他の4つの課題「時間へのコミットメント」「契約の調整」「人材採用」「運用と研修」、いずれも最初の課題である組織としての姿勢が定まらなければ達成できない項目です。インハウス化によってアクセス解析やDMP、それらを接続するシステム的な運用は(規模が大きければ)数ヶ月がかりの設計になることは多いですし、データの蓄積による最適化に最も重要な変数の一つは、時間の経過です。
他にも、これまで代理店が肩代わりしていた各種ベンダーとの直接契約も加わりますし、多くの場合経済条件も変わるでしょう。(ベンダーによっては広告主との直接契約ができないところもあります) そして、それらの膨大な専門業務に長けた人材を採用したりモチベーションを保ったまま働いてもらうのは、現在の世界的な売り手市場では至難の業です。
インハウスを断念した理由が「担当者が辞めた」という企業は本当に多いようです。社内の誰かを代理店の代わりにすることがインハウスではない、ということが強く示唆されています。
広告主がインハウス化するためにすべきこと
それでは、インハウスの成功のために、広告主はどうすればいいのでしょうか。
IABは、インハウス化を目指す企業がすべき、重要な5つの項目も提示しています。
〜広告のインハウス化のために企業がすべきこと〜
・2種類のアセスメントの実施(Conduct a two-level internal assessment)
・成長プランの策定(Create a ramp-up plan)
・データの収集と統合(Practice data centricity and integrate multiple data sources)
・技術の積み上げ(Establish a tech stack)
・人材の採用と維持(Attract and retain talent)
上記のうち、最初にある "2種類のアセスメント" とは、「メディア実績の評価」と「インハウス化そのものの評価」を指します。
「メディア実績の評価」はある意味当然といえば当然ですが、それが「仮に現在はアウトソーシングしていてもするべき」というのがポイントでしょうか。この姿勢なくして、インハウス化はありえないということだと思います(インハウスであれば継続的に自身でやらないといけないので)。
そしてもう1つが、「インハウス化そのものの評価」です。インハウスが(人件費等も含めた)コストや広告経由での売上にどのようなインパクトがあるのかを定量調査するということですね。業務のすべてをインハウス化する必要はないという視点からも、社内で実施することがコストやパフォーマンスの観点で難しい分野が特定できれば、それらに強みを持つ外部パートナーと協働する上でも役立つでしょう。
続いて "成長プランの策定" は、実行計画のみならず、採用計画や組織の共通認識の徹底、システムやプラットフォームの導入など、多岐にわたる計画を指します。組織としての姿勢(Organizational buy-in)と非常に関連する項目で、「真面目にやるなら最低1年は必要」「その後も計画が軌道に乗るまで余裕を持つべし」とまで書いてあります。1年、経営陣の覚悟が問われますね。
"データの収集と統合" は、ファーストパーティデータの重要性を理解し、複雑化・分散化する外部データをどうやって一箇所に統合し、構造の異なるデータを接続し活用していくかという、昨今のトレンドではありつつも「言うは易く行うは難し」な重い項目です。規模が小さくチャネルが限られていればSaaSを活用した自動化がある程度可能ですが、大規模であればあるほど技術だけでなくコストもリソースもかかりますので、こちらも経営陣の理解と覚悟が問われる項目です。続く "技術の積み上げ" も、この項目と密接に関わっていますね。
そして、最後に挙げられているのが、 "人材の採用と維持" です。技術の進化が結果的に人的資源の問題を更に困難なものにしています。「技術が完璧だったとしても、それはまだコップの半分だ。適切な人材がいなければ、結局仕事は何も進まない」というコメントは、いかに人の問題が難しいかを物語っています。
インハウス人材が望むキャリア構築や就業環境を用意できなければ、専門性の高い人材が事業会社に移る理由は少ないでしょう。欲しい人材を引きつける何かを持っているか(かつそこに居続ける理由をつくれるか)が、運用型広告やデジタルマーケティング自体に本来専門性を持たない事業会社にとってのチャレンジだと言えるのではないでしょうか。
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