単調で、過酷なSEM
SEM(検索エンジンマーケティング)の業界ができて10年以上(90年代後半からSEOをやっている人は15年くらい)経ちますが、基本的にSEMは離職率の高い職場だと言われています。
人によって転職する理由はもちろんさまざまです。苛烈な労働環境を理由にする人もいれば、他の分野に興味を持った、他社のマーケティングではなく自社のマーケティングをやりたいなど、10人いれば10通りの理由があると思います。よく聞く転職理由の一つに「SEMは単調でつまらない」というものがあります。「26歳女子、ITドカタからの卒業」という某ブログのタイトルは、現場の悲哀を端的に表した秀逸な表現ですが、この「ITドカタ」という表現からにじみ出る単調かつ過酷になりがちなSEMの現場環境が、この10年ずっと離職率が高いままの理由の一つでもあるのかもしれません。
SEMというジャンルでもっとも厚く雇用を支えているのは広告代理店内のリスティング広告の業務です。特に、大学を卒業したての新入社員や若いアルバイトの方々が行う業務は、思いつくままに挙げていっても、予算の進捗管理、入札、入稿、分析、レポート作成、顧客との連絡、トラブル対応、社内調整、社内の管理票や日報の作成、議事録の作成、請求書の作成…など、それぞれ重要ではあるものの一つ一つは細かく地味な業務が多く、タスクとして量と種類が増えがちなため、常に何かに追われて忙しいという状態になりがちではないでしょうか。
こういった管理業務の肥大化は、経営上は通常コストとして認識されます。媒体費のマージンでビジネスをしている以上、業務フローの中で必要な事務的・管理的業務は原価(コスト)として認識されますので、どうしても、価値を創造するのではなくミスをなるべく少なくし早く終わらせるよう、圧縮する力学が働きます。これでは「単調でつまらない」ものになりがちなのも無理はないかもしれません。
一方、優れたSEM担当者のニーズは高い
従来、このような「単調でつまらない」業務は、専門的なスキルが必要とされない単なる「オペレーション」の一環として業務の下位に位置づけられていることが多かったのではないでしょうか。しかしながら「広告オペレーションは競争力の源泉である」でも触れたように、一方ではリスティング広告に代表される運用型の広告では担当者のスキルによってキャンペーンの結果が大幅に変わるということが当たり前になっています。会社ではなくて人で選べなどとも言われます。
IABの調査(右図)によれば、2012年の上半期(1−6月)の時点で、アメリカのインターネット広告費の半分弱が検索連動型広告だと言われています。この検索連動型広告を表す「Search」には、Google のディスプレイ広告(ディスプレイネットワーク)も含まれています。
AdWords を普段から活用しているSEM担当であれば、ディスプレイネットワークは以前から活用しています。今後のRTB の進展によってディスプレイ広告にも運用の重要性がこれまで以上に認知されてくるようになると、実績のあるリスティング広告の運用担当者の需要はますます増えていくでしょう。
SEO においても同様です。2011年に行われた Webmarketing123 の調査では、B2B/B2C に限らず多くのウェブマーケターが「SEO がもっともリードジェネレーション(見込み顧客の獲得)に貢献している」と答えているように、SEO に関するニーズは企業のウェブマーケティングの中で最も重要な位置を占めていると言っても過言ではないでしょう。
Infographic: Digital Marketer Views On SEO, PPC & Social Media
http://searchengineland.com/infographic-digital-marketer-views-on-seo-ppc-social-media-99648
優れたSEOスペシャリストは多くの場合優れたプロジェクトマネージャーです。SEO の実装に必要な業務はプロジェクトによって多岐に渡り、リスティング広告と違い自分でコントロールできない部分も多いため、結果を出すには全体像の把握および業務の優先順位付けと、実装までを粘り強く管理する能力が必要です。効能を定量的に説明することが難しいタイプの施策もあるため、ステークホルダーである制作会社、デザイナー、商品開発、経営層に施策の意味を説明して実行してもらうことが必要です。また、大きなSEOプロジェクトになればなるほど、技術的な側面のみならずマーケティングや業務フローの改善など幅広い知識と実行力が求められますので、本物のSEOスペシャリストは優秀なリスティング担当者以上に貴重な人材だと言えます。
技術が進めば進むほど、使う人の差が顕著に現れます。「オペレーション」の中で本当にモジュール化が可能な業務はシステムやツールの進化よってコストはゼロに近づいていく一方で、知識を智慧として行使できる人材への企業からの視線は熱を帯び続けています。「単調でつまらない」フェーズを超えたSEMスペシャリストにとっては、キャリアの自由度が非常に高い時代が来たと言っても過言ではないでしょう。
SEM の転職事情
それでは、企業が求める優秀なSEMスペシャリストとは一体どのような人で、実際の転職事情はどうなっているのでしょうか。日本より数倍も厚いマーケットを誇るアメリカを参考に、SEM の転職事情を見ていきたいと思います。SEM は大きく分けてリスティング広告(PPC)とSEO で構成されていますので、まずはリスティング広告から。リスティング広告(PPC)の場合
以前、リス男とリス女の給与明細 というポストでも紹介したOnward Search 「PPC Jobs Salary Guide (リスティング広告業の給料ガイド)」では、以下のように職種の分布が示されています。ここには以下の6つの職種があります。
・Online Marketing Manager
・PPC Specialist
・Account Manager
・Director of Internet Marketing
・PPC Analyst
・PPC Coordinator
この中で、「PPC Specialist」は「リスティング広告スペシャリスト」です。「Account Manager」はこれとほぼ同じ職種と考えて差し支えありません。上位職である「Director of Internet Marketing」や、リスティングより広い意味で使われやすい「Online Marketing Manager」を除くと、リスティングの専門職は募集の半分を超えています。このリスティングの専門職で必要とされる能力とは何なのか、PPC Hero に解説したポストがありました。
What Makes a Great PPC Account Manager? | PPC Hero®
http://www.ppchero.com/what-makes-a-great-ppc-account-manager/
この記事では、偉大なアカウントマネージャーと、そうではないアカウントマネージャーの違いが以下の5つの点で示されています。
1. 偉大なAMは、TODOリストを消すだけではなく、その先のゴールを目指している
2. 偉大なAMは、いつ助言を求めるタイミングを知っている
3. 偉大なAMは、全てをコントロールはできないが、起きたことに対して何をすればいいかを知っている
4. 偉大なAMに共通して見られる特徴は、問題が起こったときに24時間以内に原因を発見し対処することである
5. 偉大なAMの強みの一つは、新しい分野を学び、それを試すことができる姿勢である
これらを見てみると、当たり前といえば当たり前ですがリスティング広告に限らず、優秀なビジネスパーソンに共通した特徴が挙げられていることが見て取れますね。
ちなみにこの記事では、面接時によいリスティング広告スペシャリストであるかを判断するための想定質問も記載してありました。これから面接する面接官の方も、これから面接を受けるSEMスペシャリストの方々も、一度目を通してみるとよいかもしれません。
リスティング広告系の職種における質問例:
1. クライアント(or アカウント)に対してあるタスクを完了しなければならない、けれどもそのタスクはキャンペーンの目標を達成するために充分な対策とは言えないときに、あなたがどうするかを教えて下さい。クライアントや上司を納得させ、目標達成を行うには具体的にどうするとよいでしょうか?
2. あるアカウントについて他者に助言やサポートを求めたことはありますか? ある場合、どのようなサポートを、どういうかたちで求めましたか?
3. アカウントの実績が変化したとき、あなたがどうするかを教えて下さい。何が起こったのか?起きてからどれくらい経っているのか?事実を確かめるために最初にすることは何か?どうやって解決するのか?などです。
4. 業務上のミスや外部要因による変化をすばやく察知するために必要な準備や仕組みを説明して下さい。一番最近の事例も添えて。
5. 最近のGoogle のアップデートで、最も学びになったものは何ですか? どのように学んで、実装したことによって何か変わりましたか?
最後の「5. 最近のGoogle のアップデートで、最も学びになったものは何ですか? どのように学んで、実装したことによって何か変わりましたか?」は、経験者採用の場合にはリトマス試験紙になりそうな質問です。SEO においてもリスティング広告においても、2011年頃からのGoogle の機能刷新や更新頻度はそれまで以上に急激に上がっていますので、ここが実例をもって答えられないと実務をやっていない証拠になってしまいかねません。(もちろん、過度にGoogleウォッチャーになる必要はまったくありませんが…)
優れたリスティング担当者の需要は洋の東西を問いません。特に日本よりディスプレイ広告をはじめとしたデジタルマーケティングの技術的/環境的進化の速度が早まっているアメリカでは、リスティング担当者の需要が年々高まっており、「Reflections on Real Time Bidding and Search Retargeting in 2012 (2012年のRTBとサーチリターゲティングを振り返る)」という記事では、
"2012 was a big year for real-time bidding, and also a big year for search marketers getting involved in display advertising. In 2013, I expect the lines to blur further, with more search marketers leveraging their analytic skills into the world of programmatic display."
2012年はRTB の年だったのみならず、ディスプレイ広告の潮流にSEMマーケターが組み込まれていった年でもあった。2013年は、検索とディスプレイの境界がより曖昧になり、SEMマーケター達がその分析スキルをディスプレイの運用に活かす年になるだろう。
とますますSEMスペシャリストの重要性を指摘しています。ディスプレイの進化が続く国々では、この傾向はしばらく変わらないと考えられます。
SEOの場合
続いて、SEOの場合を見ていきたいと思います。検索エンジンマーケティングでは最も重要なソースの一つであるSearch Engine Watch に、ちょうど先月(2013年1月)SEOの採用事情についての記事が掲載されていました。
SEO Recruitment Tips For Employers & Candidates - Search Engine Watch
http://searchenginewatch.com/article/2239543/SEO-Recruitment-Tips-For-Employers-Candidates
この冒頭で、SEO の転職市場において、企業と応募者それぞれが陥るジレンマについて触れられています。
・For SEO team leaders, the cost of hiring an SEO.
・For impressionable and ambitious candidates, the potential damage a move may do to your SEO career.
・SEO のチームリーダーにとって、SEO担当者を雇うコストが発生する
・SEO の応募者/候補者にとって、SEOのキャリアにダメージが残る可能性がある
これはつまり、企業側からすれば、SEO の担当者を雇うということは、SEO の毎月のコストを確定させるということになります。外注であれば変動費であったものが固定費に変わるわけで、これは単純にリスクです。また、コストを確定させるということは、SEO担当を採用して継続的に施策を行うことが、外注する場合よりも有利であるという試算ができていないといけません。大手のメディア企業等でもない限り、この試算がしっかりできている企業は少ないと思われます。(そもそものジレンマに、優秀なSEOスペシャリストを見抜く目をもったリクルーターが存在しない、ということもありますが…)
応募者にとっても企業のSEO担当として就職することはリスクになり得ます。外部のSEOコンサルタントやウェブ制作会社に所属していれば、多くの企業のSEO に携わることができ、スキルを磨く機会に恵まれていますが、企業のSEO担当になると、その機会が著しく減る可能性があります。もちろん、「インハウスSEO実践者のインタビュー」という記事で紹介したジョン・コール氏のように、インハウスSEOでキャリアを積んでいける場合もありますが、すべてのSEOスペシャリストに当てはまるとは限りませんので、自ら学ぶ機会を創出できる方でないとなかなか難しいかもしれません。
この他にも、SEMsにはお馴染みの Search Engine Journal にも、「SEOの面接対策 2013年度版」と銘打った記事が掲載されています。
Passing an SEO Job Interview in 2013 | Search Engine Journal
http://www.searchenginejournal.com/passing-an-seo-job-interview-in-2013/57148/
この記事はSEO の面接においてのハウツーがたくさん詰まっていて興味深いのですが、その中でも、特に大事だなと思われるSEO 特有の質問が、リンク・ビルディングについてです。リンクスパム業者は昨年いっぱいでほぼ一掃されたように思いますが、企業の資産となりうるリンク生成を、マーケティングの文脈で継続的に実行できるかどうかは、インハウスSEO担当者次第だと言ってもよいかもしれません。
Talking about link building
Here’s a tricky question once discussed at Search Engine Roundtable – what are the ways to build natural links? I’d agree with some commentators – you cannot BUILD natural links, links come out naturally on 3d party blogs and websites when you produce truly useful or viral content.
... If I held an SEO interview, the chances are high I would ask you about the Penguin update, the link disavow tool and your experience with it.
リンク・ビルディングについて
これは以前にSearch Engine Roundtable で議論されたトリッキーな質問で、「ナチュラルリンクを構築する方法は?」というものです。私はコメント欄の「ナチュラルリンクは構築するものじゃなく、とても有用だったり面白いコンテンツを作ったときに、外部のブログやサイトから自然と集まるものだ」という意見に賛成です。
(中略)もしSEOのインタビューをやるなら、ペンギン・アップデートやリンク否認ツールについての意見や経験を聞くチャンスだと思いますね。
多岐にわたるSEO のスキルセットですが、SEO を仕事にすること、そのために必要なスキルセットについては、SEOの神様(密教系)と言われる辻さんブログにすべてが書いてありますので、ぜひご参考ください。
SEOのスキルセット/あるいはSEO業界へのお誘い by @tsuj
http://webweb.jp/blog/seo/sem-skill/
SEM で転職するということ
冒頭で触れたとおり、基本的にSEM は離職率の高い職場だと言われています。一方で、誰もが逃げ出す斜陽産業では決してなく、むしろ今後のキャリアにとって糧となる経験を積むことができる面白い分野であるとも言えると思います。もちろんこのポストで安易に転職を勧める意図はありません。どんな職業においても、今の職務に全力を尽くすことが次のキャリアに繋がるのは間違いないと思います。目の前の仕事を放り出して隣の青い芝を眺めてばかりの人に、巡ってくるチャンスは少ないものです。一方で、時流を捉え、自身のスキルを会社ではなく社会全体の中で相対的に捉えたときに、何が必要なのか、どうすべきなのかを常に考えていくことは、現在の職務を一生懸命やることと相反しない重要なことだと思います。
SEM は、従事していない方々が想像するより、ずっと奥が深く面白い世界です。全国のSEM に従事している方々が今後も楽しく働いていけるよう、そして、これからSEM でキャリアを積んでいきたいという若い方が増えていくよう、ますますSEM にまつわる業界が健全に発展していくことを願ってやみませんし、微力ながらその一助になっていければと考えています!
コメント